すきとおるまわた



熱とか咳とかで耳のなかにぶあつい真空の栓のようなものができた。
空気を抜くとびっくりするほど音が聞える。
緩やかな山に登るときの気圧の差のように緩慢につつまれてゆくから音が欠けてゆくことに気付かず、いつのまにか世界がくもってゆく。
目の前のことや時間と、からだのなかの感覚がつりあわないうちに終わった10日間だった。

今回の展示は写真の前面にアクリルの透明な板を貼ったのだけれど、お願いしたものが出来上がったら何故か写真に対して30度くらいの角度でそれが曲がってついていて、困ったなと思う夢をみた。
からだを斜めにして見ながら、写真は曲がってないから斜めにならないでいいんだ、と思う。
実際はもちろんとても素敵にできあがっているのになにか気がせいていたのか。

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祭りと狂気は違う。

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いままでなにを書いてきたんだっけ?
ということが、なぜだかこの数日わからない。
寝込んでいるから刺激がない、ということもひとつの理由だけれど。
けれどこのみえない真空のような圧がおおきな原因。
なにかがとまってる。
陳腐になるならくちを開かぬほうがいいよ、ということならいい。
運命的にわるい前触れ、というわけではない。
揺るがされたときによいものを見ていよう。