* おそらく見えない方向にも、諸刃の迷宮



とてもありがたいはなしをいただく。
踊りにおいても、写真においても、むぐむぐ伸びなければいけない。
いつだってその局面ごとのその時にしなきゃならない成長というものがあって、
たぶん今はいまだけの方向というものをキャッチしなければいけないのだろう。
無闇にじたばたしちゃうことが常なのだけれど、
今はしんと、風の方向を見ることができるような気がしている。

おろそかにしていることのなかには自分にとってすごくたいせつなものだって含まれている。
身近だからこそ甘えてしまっていたり、
たいせつだからこそいそいそとこなしたくなくて結果的に後回しになったり、
待ってほしいという願いが、なにかにすりかわっていたり、
分刻みの移動のなかに紛れて見失ってしまっていたり。
ジレンマにつぶされるわけにもいかない。

からだのことも少しはいたわらなくては。
無茶をすることに慣れすぎている。


イカルスはミノタウルスがいた迷宮から飛びたったんだね。
いつのまにか私のなかでイカルスの物語はミヒャエル・エンデの色が濃くなったのか、
閉ざされた町から見知らぬ国へ脱出するものに変わってしまっていた。
誰も見たことのない高い壁の向こうへ。
世界がそこにひろがっているのかを知るために。

それにしてもミノタウルスのラビリンスから空が見えていたなんて、想像したことなかった。