* 懐かしいまち、時間に沿って歩く



小池さんのギャラリーにお邪魔した後その足で歩いて以前住んでいた町に行ってきました。

引越しの多かった私にはたくさんの土地の風景があります。
大月、登戸、昭南町、早良区、新宿、そして今住んでいる場所。
私はその場に立ち止まってじっと何かを見たり考えたりする子供ではありませんでした。
いつもターザンのように駆け回りいつのまにか大人になってしまった。
だから子供時代をすごしたその風景は蝶のようにひらひらと鼻先を掠めるけれど、とどまって私と一緒に年をとってはくれない。

ながいこと何かを眺め、寄り添って、いつのまにかなにかが積もっている。
そんななにかが私の中に見出せないことに、この年になってやっと気付きました。
たぶんこんなに惹かれるからにはそういうたぐいのことがずっと気になってきたはずなのですが、いつまでもターザン気分だった私は破りちらかすことばかりで、包みはぐくむことをおろそかにしてきた。

けれどやっと、そのことを見つめたいなと思うようになって。


一番長く住んでいた新宿はたくさんの変化があります。
でも私の目には、新しい場所こそがなにかぽっかりと色のない抜けの部分であり、昔そのままの景色がそれを凌ぐくらいに鮮やかでした。

たくさん目に残して、写真を撮って…としているうちに、どんな景色も誰かの思い出の風景なんだということを考えました。
ほんとうのことには遠く及ばないのだけれど、そんなことを考えながらどんな町も歩くことが出来るのだと思ったら胸があたたかくなりました。
私の風景はわたしのものだけではなく、私の経験だけがわたしの思い出ではない。
そんなふうに思えたら、なにかやさしく、豊かになれる気がして。


ほかにも記事を書きました。
    ・時間も思考もかいくぐる(あわせ鏡blog)