* 雪の植物園、ひとりあるき



ひとりで歩くことが自分にとって特別なものだと気付いたのは雪のコペンハーゲンをひとりで歩いたときかもしれない。
新しい国に行くと電車やトラムやバスの乗り方が分からないからひたすら歩く。
コペンハーゲンは小さな街だからすぐに一周してしまった。
買ったばかりのブーツが足に馴染んで石畳のごつごつも雪の冷たさも覚えるほどに。
雪で覆われた公園を歩きながらほんとうにいろんなことを考えた。どうしてヨーロッパにいるのか、いつからいろんなことが崩れ始めたのか、どの時間に戻って何をしたら修正できるのか。
過去のこと、なかなかはかどらないオーディションのこと、ひとりでひたすら黙って歩いていること、雪を踏むこのブーツを見るたびに今を思うだろうということ。
ときどき小さくつぶやいたり歌ったりした。白い濃い息が続いて流れてゆくだけで、誰の耳にも入らない。

ガラスに覆われた小さな植物園があった。
トーベ・ヤンソンの短編に植物園に通いそこを特別に思うおじさんの話がある。
丸く降りてゆく鉄の階段、少し塗れた葉。
外は雪が降っているのにドームの中はあたたかい息遣いしか聴こえない。
ずっと心臓がどきどきしていた。
ひとりだから。
迷子にならずに帰れるだろうか、いつベルリンに帰ろう?今日の夜ご飯はどこで食べたらいいんだろう。お金を両替したほうがいいかな。オーディションの返事が来ているかもしれないのにネットカフェが怖い。
心の表面は限りなくひりひりとしているのに芯はただ自分がそこにいられるというそれだけのことしか持っていない状況のことをたっぷりと受け入れようとしていた。
誰からも何からも自由になることに少しでも踏み出そう、このどきどきもゆっくりと支配しよう、と。
ときどき、なんでもないものに足を止めてただ眺めた。こころを惹かれたものじゃなくてもよかった。ただ通り過ぎないというだけでそこからなにか小さい発見があった。そのものに対する発見だったこともあるし、ふと湧き上がってきたまったく別の考えだったり風景だったり、それはまちまちだったけど。

日曜日、川のそばを歩きながらときどき気になる樹に手を当てた。
幹の感触は私の肌よりだいぶがさがさして硬いけれどこれも皮膚なんだ、と思う。
一緒に呼吸をしているつもりになる。水を飲んでいるつもりになる。
子供の頃から気になるものにはすぐ触れようとしてしまうのだけれど、それが私の一番確かなうけいれぐちなのかもしれない。

ほんとうは世界のどこにいてもひとりぽっちではないんだけど、距離が近いというだけでそこに繋ぎとめられるのは何故なんだろう。
小さなことがこころには影響していて、その度に受け入れることも紡ぎだすことも変わってゆく。
とてもそれを把握することはできないなあと、野放しにしてあげることにしている。
ただ、ときどき顔色をみてあげるだけ。
手のとどくところにつないだりはしない。

雪が降ったら植物園に行きたいな。
蓮の池がある植物園ならなおいいんだけど。