ゆれる、その周辺



目をこらして字を追うととげとげとしたかたちばかりがあたまに入って話がわからなくなる。
紙の少し奥に焦点をあてて字の色を流すようにたどるとすっとうまくいく。
物語を読むときのはなし。

それもこれもいいよ、というわたしのアドバイスは全然甘やかしじゃない。
どれにも可能性をみているからそう伝えるけれど、そこから選んでかたちを成すのはあくまでもあなただ、という厳しい自由を投げかけている。
試したいわけでももちろんない。
どんなあなたも尊重したいのだもの、というのは欲張りだろうか。
評価する責任から逃げていると言われたら、それはわからない。
少なくともわたしにとっては違う。

確かなものはそれぞれの感覚だけだという気がする。
こんなに揺れやすく曖昧で同時にあちらにもこちらにも存在するものなのに。
それだけがいま、わたしの扉になっている。

自分に耳を澄ませる行為は古いラジオのチューニングのようなものかもしれない。
大きいダイアルで針を細かな刻みに合わせる。
だからいつも立ち返らなきゃいけないんだろう。
重たすぎるダイアルは扱いづらい。
けれどつるつると軽すぎてもだめ。
なんどもつまみを握ったことは忘れないしぴたりときたときの手応えは知っておく。けれど、みちのりはいつも違う。
積まれる部分とたえず生まれ変わる部分は退けあって、響きあう。

ルッコラの芽が一番乗りだった。
ガーデンレタスもこまつなも、にょきにょきと伸びてきた。
間引くのがいやだったからなるべく種をばらけさせたのにやっぱり半分は抜かなければならないだろう。