* 『シティ・オヴ・グラス』 ポール・オースター

誰かを探すことが自分を探すことにかえってくる。
ことわざ的なことではなくて、もっと感触として。
どこまでが自分で、どこからが他人であり世界であり、その境界線とはなんなのか。
名づけることでわたしたちはそれを分け、把握してひとときの安心を得ているように思っているけれどそれはいったんもぐりこめば脆く崩れ去る。

だから、自分がなくなるまでやってみる。
世界と自分を切り離すのではないかたちの孤独。
なにものも摂取せずに風景と皮膚とをひとつながりになるまで麻痺させる。

結局どこにこもろうが、自分を包んでいるものは同じ。

『孤独の発明』をもう一度読みたいな。


“<楽園>におけるアダムの仕事の一つは、言葉を発見し、生きものや物に名前を与えることだった。そうした無垢の状態で、彼の言葉は世界の核心を突いた。彼の言葉は彼が見たものに単に名前をつけるだけではなく、その本質を顕現させ、文字通り生命をもたらした。”

“「たいていの人間は、そんなことは気にもとめないものだ。言葉をまるで石みたいに、命のないもののように、決して変化しない元素のようなものだと思っている。」”

“私がいないところでは、私はいつも幸せだろうと思われる”


シティ・オヴ・グラス