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今年は土壌だ、ということを決意してからなるべく空いた時間を読書や映画に費やそうとしているのだけれど、ひとつ見たり読んだりするとやはりそれを消化したりそれについてアウトプットしたりする必要があるようで、だんだんからだがそわそわしてくる。
きっとただ新しい情報に入れ替わってしまうことを心配しているんだろう。
けれど入れたら出す、というその作業はそう簡単には直結しなくて、このところぐっと黙ってしまうことが多い。
もっと太くて頑丈で簡潔なパイプで繋がればいいものを。

書くことはとても大事なことなんだけど、あとから見直すということがなかなかない。
書く、というその作業自体、からまった糸をほどいたりほの暗い底からざばーっと曳き上げてくるその行為自体が重要で、(友達が言っていた「インデックスをつける」という表現がまさにぴったり)それにかなり体力を使うし、かたちになったことで満足してしまうんだろう。きっと。

写真が私が接した世界のある瞬間にインデックスをつけているとすれば日記は私の内部へのインデックス。
見直して、醸すことが必要なんだろう。
気まぐれに跳び、手を付け、目を奪われていたことの意味を探り、丁寧に糸で繋ごう。