* にぎやかな眠り



子供の頃にも家族の中に鳥がいて、その子は飛べないインコだった。
明るい黄色にちょっとメロンのシロップをかけたふわふわのかき氷みたいな色。
コーヒーカップを入れる棚を空けて、ぴいちゃんの居場所にしていた。
どうやらうちの家族はちゃんとカゴを買ってきて動物を飼うということをしないみたいだ。
カタツムリもサラダどんぶりに乗せているだけだったし(ときどき散歩にいって思わぬところで見つかる)モルモットもベランダを駆け巡っていたし。
まだ小さかった私はぴいちゃんが自分の名前をしょっちゅう呼んでくれていたことを知らず、大人になって母に聞いて初めて知った。

だんだんと弱っていったから寿命だったのか、それとも飛べないくらいだから体が丈夫じゃなかったのか、ある日とうとう動かなくなった。
ぶるぶる震えるからだを両手で包んでなるべく寒くないようにだっこした。
やわからいタオルに包んで勉強机の電気を近づけて、まるであたためれば元に戻るんじゃないかと思っているみたいに。

ぴいちゃんを埋めたのは隣の町に行く道とスーパーに行く道のちょうど分かれ道になっている三角の茂み。
うちの近くじゃなくてどうしてそこを選んだのか分からない。
むらさきしきぶと呼んでいた藤色の実のなる低木や、美味しい蜜のたまるつつじ、春の熊みたいなむくむくのくまんばちと沈丁花がいちばんわんさか咲く場所だったからかもしれない。
道に挟まれたそこがちょうど中洲のように行き交うひとを眺められる場所だったからかもしれない。
ティッシュにつつんだ体に土をかけて、かまぼこの板に名前と絵を描いて、立てた。

スーパーに行くたびにちゃんとまだそこにいるだろうか、それとも骨になってきているだろうか、と想像した。
何度も掘り返して確かめたいと思った。
けれどやっぱりそれはお互いにとって良くないことのような気がした。

あるとき、多分猫とか犬とかがそこを掘り返してしまったようで、深い穴と倒れた板だけがあった。

今でもはっきりあの茂みを思い出せる。
自分がどんな風に毎日を過ごしていたのかは思い出せないのに。

+

あまり気持ちのよい話じゃないけれど、私は死んでいるものを見ると埋葬せずにはおれなかったみたいだ。
車に轢かれてぺっちゃんこになったカエルを見つけると道路からそいつを剥がして土に埋めにいった。
でも「うわー!鯵のひらきみたい!」とか言ってたから、心優しい子供だったとは言いがたい。