* baby bloom、森麗子さん



私のまわりにベイビーブームが来ている。
スタジオ時代の同僚、そして芝居仲間はなんと同じ時期に3人も。
結婚式もそうだけれど、おめでたいことって本当に重なる。
お正月に従兄弟の赤ちゃんと逢ったこともあって、なにかにひかれているのかもと思う。
そうして本屋さんで思わず手に取った雑誌。
表紙がなんともやわらかそうな赤ちゃん。
お食い初めのことが書いてあった。

お食い初め。ことばは知っているけれど実際どんなふうに進めてゆくべきことなのかを知らない。
おばあちゃんは知っているだろう。お母さんも。けれど私は知らない。
もしかしたら子供ができたら経験するから分かることなんだろうか。
そうかもしれないけれど、そういうことが多すぎる。からだに馴染みのないことがとても残念に思える。
かつてはきちんと存在していた儀式や風習を知らずに失くしてゆくことはとてももったいないことだと思う。

ヴォガネットも書いていたけれどやっぱりたくさんのひとのなかで育つことには大きな意味があるのかもしれないよね、ということを母と話した。
色んな年のいろんな知恵や感受性の中で生活をすること。生まれてきたり死んでいったり
って身近にちゃんと当たり前に存在して、でも生きて死ぬことって当たり前じゃないよ、みたいに感じること。

+
その雑誌で知った森麗子さん。
布や糸を使った作品を創っている(ファブリック・アートと呼ばれるんだって)。
繊細だけれどしっかりと厚みのあるひと針ひと針、北欧の風景をうつした涼やかな色使い、寄り添う小鳥、遠いけれど空気に層をつくりながら降りてくる太陽の光、深くて透明な夜の藍色。
ぐっとこころをとらえられていてもたってもいられないような気持ちになった。
森さんの作業場にある刺繍糸の戸棚は100色の色鉛筆みたいに見ているだけでわくわくするし。
どうしてもどうしても、この作品をじかに見たい。
できたらスウェーデンのお話を聞いてみたい。
縫い物が好きだったら習いに行くのに、と考えてはっとした。

不得意だからこそだろうか、自分の性質とは真反対だと考えていることにばかり近頃惹かれる。
一年中お庭を美しい楽園にしているひと、版画、自分で家具を作ること、お料理、テキスタイルみたいな作品、そしてこのファブリックアート。
手先を使って細かくじっくり向き合わなきゃいけないこと、時間を費やさないとできないことばかり。
そういうことは性に合わない。
苦手だし、もしかしたらきらいだと考えていたのにどういうわけか気づけば目で追っている。
そういうことを大事にできる性質を手に入れたいと願っているからだろうけど、でももしかしたらやっと、時間や手間をすっとばしては手に入れられないものこそが私にとって価値のあることかもしれないと気づき始めているのかもしれない。


ku:nel 2009年 03月号