水盤、新しい通り道

読んでいる本の最初の一編につかまれてなかなか先に読み進まないでいる。
その島の神は岩の中の掘った水路を通って神殿の地下の水盤をうつ水が砕ける、音そのものなのだという。


昨日新しいからだの通り道を知った。
どうも窮屈になる肩を今までどうやって楽にしたらいいかわからなくて下げようとしたり脇を長く使ったり肩甲骨の角度かなぁ?なんて思いながらつぶさに観察したのだけれど一向に楽にならず、それなのに洋子ちゃんに訊ねてみたらいっぺんに道がみつかり、解決した。
知らず自分のからだをこんなに縛っている。
自由でいることにはたくさんの気付きが必要で、積み重ねてきたその節々を助けてくれるのはやわらかな脳やつみかさねてきたからだが知っているものごとそのもの、なのだなと思う。
なにごとも突出というのはともするとただのバランスの悪さに繋がるのかもしれない。


からだの奥深くにその水盤があるような想像をする。
どこからか打ち寄せた水が洞窟を響かせる。
いつもいつも、見えない水にこころを惹かれるのはどういうわけなのだろう。