今日の夕飯はトマト煮込みハンバーグ

もう少し削れるだろう、と思うことが多くなった自分のことばを省みながら、きっとやり方が以前と変わったのだということに気づく。 前は何もない壁に色を置くようだった。 色も重要だけれど、その位置もだいじだった。 思いつめずに置いてみて、そんなに推敲しないでよしとしていた。

まわりにはことばも、写真も、絵も、踊りも、たくみに操るひとがたくさんいる。 それを真似ようとしたことはもちろんないのだけれど(真似ることができようとは思っていないから)、けれど自分をひねくり回してみて絡まったことは事実あるように思う。

わたしが歩いてゆくべきはどこなのかな。 接している世界が圧倒的で、もしその重みにあえいでいたとしても、皮膚を塞いでしまいたくはない。 なんとかやりとりをしようと広げ、ちょっとずつ境を水で溶くようにしながら見つめていって、そして見つけ出すのはそのあとの内部からだ。

こわばってしまうなんていやだ。 いつでも、手にいれた気がしたものなんて手放して、新しくまた掴めばいい。 頑固で恐れで縮こまっている自分を含んだままでいいんだけど、そこにだって風をとおしてあげられるのはきっと、ただ素直に直接感じ取ったものからでしかないのだから。

細かく探って、ひとつひとつ放ってみよう。 世界はひろいし、わたしが委ねられる先の手はこの2本だけじゃないと、ほんとうにわかるために。