その日に強く関わったひとやものごとから受けた一番強い何かをずうっと引きずってしまう。いいことも悪いことも、それは自分の空気になって抜けない。
それはときどきしんどい、けど大半は、素敵なことだから、と言い聞かせる。

雲の厚い日の町の音が好きだ。
遠い音も近づいて一緒に閉じ込められる。
みているものがそのまま音になる、まるで隣にいるみたいに。


どうして写真を撮るようになったんだろう。
家族で旅行に行って撮った写真を見ていつもがっかりしていた。
わたしが見ていたものはそこには写っていなかったから。
ただ大きく開いた目に全体があって、わたしはこれを見ていたんだよって説明しなきゃそのことがわからない、だから写真は苦手だと思っていた。
記すように写真を撮ることは日記を残すことと同じだった。
証しのようなことに欲張りなんだろう。
なにひとつ自分のものにはならない、ほんとうは何も手に残らないことを静かに見送ることが嫌で、残してしまうことを選んだのだと思う。

どうにもならないことばかりだ。
そしてそのことだけが救ってくれる。