数のこと、ムクドリの群れ

感覚の仕掛けについて考えるとき、ちょっと前に書いた(※)植物と数学のことをよく思いだす。

同じ植物が決まった数の花びらを持つっていったいなんなんだろう。 この枝の花も5枚だしこの枝だって5枚の花びらをつけてる、みたいなことを考える、この数字っていったいなんなんだろう。 植物の花びらは奇数が多いし、指も5本だなとか、グランドピアノの足は最も安定する3本だけどでも3は非対称とか不協和音のようなことを思い起こさせる、とか。 1は始まりのものだけど、でも2があってはじめて1が成り立つのかも、とか。

ただそこにある世界の成り立ちの中に数を見つけ、数というもの自体にまた何かしらの意味やら感触やらを与えるようになったその過程のことを想像する。 それははるか昔から人間が積み重ねてきたことでもあるし、もしかしたらひとりひとりが生まれてものごとを認識する過程のなかにも含まれているんだろうな。

鳥の群れが飛ぶことにもなにかを見ようとする。 なんなんだろう。