鳥取・福岡・神戸/かにのことふたたび



鳥取でわたしがなかなか調理できなかったかにです。

だって、このおなかの三角のところをおべんと箱のふたの留め具みたいにぱきんと外して、そこから殻と身を剥がさなきゃいけないんだっていうんだもん。
おなかに指をいれようとすると長い足をぎゅーっと内側にちぢめてくるし、大きなはさみで、すごく弱く「やめて」と指を払おうとする。

振付のとき私はそのひとのからだに入って覚える。
背中にチャックがあったとしたらそこからそのひとの皮膚のなかにもぐりこんで、そのまま動かしてもらうかんじ。
その感覚をうつされたからだのなかで、たとえば両肩はどのくらい傾いているか、その圧力はどこにかかっているかとか、どのくらいが正面のひかりに当っているかとか、どっちの足にどういうリズムで重たさが加わったか、・・そういう直接の刺激として覚えてゆくみたい。
だからかたちのことをあまり覚えていられないみたいなのだけれど・・というのは記憶力が薄いことへの言い訳にすぎないかもしれないんだけど・・。

だから、(かは知らないけど)かにが動くたびにみぞおちに指をむりやりいれられる感覚とか、からだをびりびり剥かれる感覚とかを勝手にうつしとって、つらかった。
もちろんほんとうに痛いわけはないのだけれどとても手が進まなくてかにと見つめあっていた。
それは震えるほどで、私は魚とかカエルとか白菜とかにも包丁をいれてきたじゃないか、あ、カエルはメスだけど、とかぐるぐる考えていた。
もうさばけたー?ってタイヨウさんが台所にきても私はただもう泣きべそ寸前みたいになってたから貸してみ、と決着をつけてくれた。




だけど、その時も日記に書いたけどかにはおいしかった。