ヒビと稜線、遅い夕焼けと白い骨のこと



たとえばわたしには思い出のようなものが少ないなあと寂しかったりしても、誰かの話をきいたり本を読んだりしてその風景を自分の過去にしてしまえばいい。
そのことばをきいたから、なかなか読み進まなかった本を鮮やかなまま呼吸している。

もしはじめの記憶のことを語って呼び覚ますことがあるとしたらそれは、届けられるそれは、新しい経験であるといえるのか。


こころをそこに写すなんていうことが幻想だとしても、そこからこころのありようを推し量りたくなるものをつくることはできるかもしれない。
自分以外のすべての人生に差し出せるものなんかいまは持ってない。
でもそのたくさんの人生のようなもののひとつのことを、つまり自分のものっていうことだけど、それにもっとしつこく関わることはできる。
たぶん普遍化するって薄くひろげることじゃあないんだ。
穿つように、しぼってゆくことかも。



“作品は超個人的で、誰にも入って来られない世界だと思う反面、その深部は誰にでも繋がるという感覚もあります。”
~鴻池朋子 インタヴュー