ゲネ終了

舞台の上で自分がどうありたいかということとどう見えているかということはまったく別のことかもしれないとも思うけれどやはり、こここそ、と丁寧に感じている部分が見えていないことはもどかしい。自分の過ごしている時間がまったく的を外れていることをビデオで確かめるとがっかりする。
変換することがそこには必要で、ただアンテナみたいに受け取るだけじゃいけないこともわかっているんだけど、なかなか破りきれないなあ。
饒舌なからだを目指すことももちろんなんだけど、感じることじゃなくて考えることがわたしの仕事なんだと強く思い知る。

もしかしたらもう少し空間のことを知るべきなのかもしれない。
そこに音をどうやって満たすか(満たさないか)、配置の差し引きみたいなこと、時間とものの密度みたいなこと。
よくわからないけど、こういうことはもしかして家(建築)とか生活のようなことにヒントがある気がする。
なにか枠のようなものを広げたい。
手持ちが少な過ぎてもう自分でも飽きているし、もう何だかいろんなことが重たい。
がりがり剥がしてしまいたいな。


昨日の朝方またすごく尾てい骨の奥が痛くてなかなか起きられなかった。
月に一度くらいしか痛くならないからすぐ忘れちゃうんだけどやっぱりなんかおかしいなあ。
しっぽがのびて来てるんだろうか。
そうだったらちょっと楽しみだけど。


明日は本番。