なにをとっているんだろう?とときどきおもうこと

さよを撮った。
すこんとそのままいてくれる。
もちろん照れたりはするけど。
やっぱりだ、と撮りながらうれしくなった。
ひとを撮ることにわたしのほうが緊張していたからちょっとギクシャクしてしまったけれど、とりわけそれが邪魔になったわけじゃない。
へんだね、とその痒さを味わいながら話を続けて、レンズを覗いた。

ひとを撮ろうと決めたときに撮りたいひとは誰なんだろうということを考えて、自分がどんなふうにひとと繋がってきたか、それは自分が世界とどんなふうに関わっていきてきたかということで、その現実の前に動けなくなった。
わたしはいったい何を見てきたんだろう、そんなことも不確かなまま写真を撮るなんて。ひとを撮ろうとするなんて。誰かになにか伝えたいって語るなんて。
締め切りは迫るのに、動けない。

でもさよを撮らせてもらって久しぶりに話をして、すっとほどけた気がする。
肺の管からはとてもいっぺんに吐き出せない量の空気をわたしは吐こうとしていたのだ。
ちょっとずつでいいじゃない、めぐってくることを待って、あたたまるのを待って、手元のことから。


あと半年でなにかががらりと変わる気がする。
変えようとすればほんとうに激変するはず。
そういう流れが見えたのは久しぶり。
もう少し早く気付いてもよかったのかもしれないけれど。
この半年の決意とかがんばりでこの先しばらくの生きかたが決まる。
そんな予感。