おばあちゃんちからの港



おばあちゃんちからはタンカーが入ってくる港が見える。
タンカーは小さい船に引っ張られてしばらく港に身を寄せ、ときどき遅くまで作業のあるときにはこんなふうにまぶしい。

おばあちゃんちにいると時間がそのままの速度で流れる。
少し遠い海からの風がベランダから抜けてきて、いつも長い休みの最中にいるような気持ちになる。
おばあちゃんとアイスを食べたり、コーヒー牛乳を飲んだり、もしくは母との会話をききながら。

ひとなつこい部分とか、舞台で物怖じしない肝とか、ちょっといろんな不思議なセンサーとか、おばあちゃんから譲り受けているところがいくつかある。
でも当然だけどわたしの8分の1がおばあちゃんそのものなわけじゃなくて、通じているようにみえてもやっぱり私がかたちづくったものであって、情報として残っていたとしてもまったく別物で、
そうかあ、おばあちゃんはもうほんとうにあと20年も30年も一緒にいてくれるわけじゃないのかあ、というようなことをふと思った。
当たり前のことだし、あと70年くらいしたら私だって同じようなことになるんだからそれはそうなんだけど。
つかまえておけることは少ないんだなあ。

おばあちゃんがとっても気にしているひとがいる。
ずっと一緒に住んでいたひとなんだけど。
いちど、ちゃんと逢ってあげてほしいな。

+

おばあちゃんちから見える、煙突の先が燃えている工場がかっこいいなあといつも思う。
サラダ油工場かな。
ガスとかだろうか。
なんで工場とか、廃墟みたいなものとか、鉄橋とか好きなんだろう。
骨に似てるからかな。