* 霧の朝、特別な夕方、ともだちの家

霧が出ているよと父が教えてくれて真っ白な朝を眺めた。
ベランダに出ると細かくさらさらと空気の流れが見える。
むせるほどの霧。
空気がゆるんでくるにつれて霧は吹き払われ、屋根におりた水分がたちのぼるところを見ることができた。
わたしのおなかもあったかい。
太陽はなにもとりこぼさず、ひとしく注いでいる。
このやさしいあたたかさに、屋根のお水の姿を変えるほどのちからがあるなんて。

午後になってから出かけた。
ふと、電車の中で太陽の光に包まれた。
顔をあげてはじめて、なにもかもがびっくりするくらいきれいに見えることに気がついた。
朝、全部が霧のつぶで包まれたからなのか、ちょうど太陽の角度がよかったのかわからないけれど。
どきんとして涙が出そうになった。
どんな色も美しくて、全部留めておきたかった。
すべていとおしくなるような。
どきどきしながら本に目を戻しても、やっぱりまた窓から光が迎えにきた。
騒いだこころのまま呆然と西の空を眺める。
まだ青くて明るいのに、水平線は優しい錦鯉みたいな色がにじんできていた。
写真を撮りたいなと思ったけど電車の中だから我慢して、でもずっと気持ちがいったりきたりする。
富士山が灰色のシルエットで見えたとき、ちょうど天辺から薄くヴェールのように垂れる雲が、炉の中の金属みたいに光っていた。
大きなビルに隠されたあともずっとその方向を見ていた。

なにが作用してあんなふうに景色をみることができたんだろう。
今日は稽古をしたわけでもない。
なにか特別こころを揺らされることがあったわけでもない。
ただ、ぼんやりと家を出たのに。
ときどきこんなことがある。
すっかり剥かれて、うまれかわったようになにもかもが飛び込んでくるとき。


瞳の表面じゃなくてずっと奥のほう、頭の奥よりずっとこころの底の方、後ろの景色も連れて、膨らむように、目の前のものを見たい。
後ろの肋骨で呼吸をするように。
わたしのスピードで、私の矛盾を抱えたまま、私のはかりで、
その都度そのつど微調整を重ねながら、
そうだなあ、素直にみつめるしかない。


友達のうちに着いたらお好み焼きがすごく美味しかった。
わたしは座ったきりで、ふたりが混ぜたり焼いたりしてくれる。
テレビを見てぽつぽつしゃべって、なんだかぼんやり、おうちにいるみたいだなあと思った。
誕生日だったから、と言ってスイートポテトを焼いてくれていた。
私が世界でいちばん好きな食べ物何か知ってる?って訊いたら知らない、って言う。
私もこないだ気付いたばかりなんだけど。
食べ物のなかで一番すきなのはさつまいも。

今まで食べた中でいちばんおいしいスイートポテト。
ありがとう。