サンキャッチャー考察



南向きの窓は外にすぐお勝手口からの小さなベランダがついているからあまり見晴らしがよくない。
壁が邪魔をして、サンキャッチャーがとらえ、投げてきた光が部屋を満たした時間はそんなに長くなかった。
もう今では薄い虹が白い壁をくるくると漂っているだけ。

乱反射のなかで、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』に出てきた井戸の話を思い出した。
深い井戸に落とされた兵士を一日のうちほんの何秒かだけ照らす太陽のエピソード。
太陽は(というか地球が)動いていて、ひかりが通り過ぎてゆくことを考える。
先週劇場でもこの井戸の話を思い出したんだった。
楽屋の奥の喫煙所からはビルとビルの隙間から細く空が見えた。
穏やかな風のない日のような気がするのに、そこに見える雲はとても早く流れていた。
たくさんは見えない空、雲、星。
壁に囲まれた世界で生まれて育ったこどもの話を昔脚本にしようとしたことがあったんだったとふと思い出す。

太陽がどこにでも滑り込み、潜り込んでゆくすがたに時々驚く。
小さな頃、部屋にある鉢の近くを小さな羽虫が飛んでいるのをずっと眺めていた。
私にとっては小さな茎や葉っぱの間を羽虫は大航海をするように大きく旋回しかいくぐって飛んでいた。
近所の赤ちゃんがぐずって泣く声が聞こえる。
その音からシフトしてその微かな羽音を聞いていた。
ふと虫に陽があたり翅がきらりと光った。その細かな模様や羽虫のからだに生えている産毛のようなものいっぽんいっぽんが柔らかく照らされる。
子供の私はその時、太陽はなにもへだてず照らすんだ、と思った。
私がぽかぽかと太陽を浴びているその時に、ほかのいろんな生きものも生きていないものも同じく、太陽のひかりのなかにいるんだ、と。