* 実体のない像



この景色をちゅんと見たいなあと思ってよくひとりになったときにちゅんのことを考えた。
爪がどんなふうに手の甲にへこみをつくるか、どんな羽音だったか、どのくらいの重さだったか、どんなふうに瞳が焦点をさぐるか、そんなことを思い出しながら。
そんなとき、ちゅんは私の声を聞いているんだろうか?

そういうことをしていたせいか、突然にちゅんの存在がするりと頭に入り込んでくることがある。
今日は電車で本を読んでいて。
胸の斑点もようがほんのり空色になったのを見つけたのは、秋の入りぐちだった。
空を飛んでいたら下から敵はいないだろう。
だからいったいなんのためなんだろうね、と母と話したことを覚えている。

淡路島で思い出していた体重よりも、実際のちゅんはずっしり重たかった。
あたまのなかのみつもりを微妙に修正した。

+

オフィスにあしなが蜂が入ってきて、私が駆けつけたときにはもう誰かが殺虫剤をかけてコップに閉じ込めているところだった。
蜂はからだを折って苦しんでいた。
だからとどめをさすために私はさらに薬をかけた。
暴れる蜂を見ていられなくてコップを紙で覆った。
涙がこぼれそうになるのは可哀想だからというだけじゃない。
なんだろう。エネルギーの揺れのようなもの。引き裂かれる混乱のようなもの。振り切れるノイズみたいなもの。
かきまわされて、声が出なくなる。

+

ひとの幸運は決して同じ場所にはとどまらない、と有名な歴史家は言った。
ならば、わたしは動かなきゃいけない。