* 横浜散歩3



みなとみらいからずっと歩いて必ず通るこの道。
お店の顔だったねこが遠くへいってしまったみたい。

ねこは年をとってふっと姿を消すことが多いという。
前も書いたと思うけれど、このことについてのある説がこころに残っている。
人間と違って動物は、からだにおとずれる色々な変化…感情や、状態などを、言葉を持つ人間のようには認識していない。
「死」というものが自分に訪れることを知らず、でもなにかじりじりとその時が来るのが分かる。
猫が死ぬ前に姿を消すのは飼い主に見られたくないからなのではなくて、そのなにか迫りくる悪い予感から隠れよう、逃げようとして混乱しながらどこかに行ってしまうのではないか。
というはなし。
そんなふうに困って恐がってひとりで逃げてゆく猫を想像すると可哀想すぎるからどうかそんな理由じゃありませんようにと思うけれど、でもかぼそく鳴きながら去ってゆく後姿の想像とともにいつも思い出す仮説。

でもちゅんを見ていて思うのだけど、多分彼らはそんなに察しが悪くはないように思う。
何も教えなくても飛べるようになるし、からだを自分で舐めてきれいにできるようになるんだから。
ましてや、こんなふうにひとの間で20年以上も暮らしたねこならなおさら。
へんな話につなげてごめんね。
ちいさな頭のなかにうつされるもののことを、よく考える。

ねこのカーちゃんのことはこちら