* オースター、喪失や孤独のこと



オースターを立て続けに読んだ。
『リヴァイアサン』と『ミスター・ヴァーティゴ』。
途中、アーヴィングを読んでいるような気になって、いやちがうこれはオースターだよ、と思い出した。別に似ているとかいいたいのではなく、同じような部分が響くんだろう。
オースターは『ムーン・パレス』と『孤独の発明』がとても好き。

ムーン・パレスを読んだときのことをよく覚えている。
窓にあたる雨の音とか、ひとりっきりだったこと。(わたしはひとりパンコウにいてあみもたーこちゃんも別の国にオーディションに行っていたから)
指さきがなんだかちりちりするくらいにひとりぼっちだった。
このままベッドに潜っていてもいいし、居間でずーっとタバコを吸っていてもよかった。
時々地下に下りていってピアノを弾いて、みぞれを眺め、外に行く勇気をそっと搾り出したり引っ込めたりする。
一日なにもしないでいることもできた。
いつか日本に帰らなきゃいけないけど、でもそれまでには十分猶予があって、そして会社も辞めてきちゃったから正真正銘の自由だった。
どこにゆこうとどこへ消えようと、このわたしの身ひとつにすべてまかされている。
でもそう考えたら、いつだって自由なんだわたしは。
そんなこととっくに分かっていたけれど、そのとき本に挟んでしおりにした指がちりちりするその感覚くらいそれは確かなことだった。

いつも、孤独が内側にあって、それをまた別のものが包んで、またそれをこどくが再認識して…と、あれからずっとバームクーヘンみたいだ。


私の好きな本は…というかものがたりの半分くらいはきっとそうなんだけど、その道のりでどうしてもたいせつなひとを失うことになっている。
ものがたりを読んで私のなかに積もってゆく喪失はつらいけれどどこかで豊かさにつながるのだという気がする。
当然だけれど、実際の喪失ではそうはいかない。
あたりまえだよね。


孤独の発明 (新潮文庫)