* カンパネルラによせるメモ



今日見てきたNさんの舞台の感想。
感想というより、自分なりの、舞台に関するメモかもしれない。

「銀河鉄道の夜」というお話の持つ純粋さのようなものをぎりぎりのところで保っていた(このぎりぎりさ加減はおそらく意図したものだと思うのだけれど)のは、創る過程でそこを手放さずに何度も立ち返ったからなのではないかな、という気がした。
オリジナルのエピソードに挟まれる先生のシーンとか水槽の話とか活版印刷の表現とか、そういうマテリアルが幹の部分にもっと食い込んできたら面白かったのに、と思う。
せっかく大事にしようと立ち返っていたのだとしても最後にぐっと集結されることがなかったから、色んなキャラクターを見たな、という散漫な印象が残ってしまった。
主役のHさんはテクニックもあるし体も随分軽やかに動いていたし魅力的ではあった。
だからこそ、なんだかもっと練り込めたのではないかな?という感想を抱いた。
役者さんで体がきくと、空間の使い方に冒険ができるんだなあということを考えた。
銀河鉄道の夜はとても幻想的で時間や空間の飛躍のある話だから、たとえばそれを感じさせられるとしたらどんな演出があるのかなあ、と考えたりした。

舞台上で行われていることはどんな些細な小さな感触であっても覚えているものだという気がする。
色んな見方があるから断言できないけれど、たとえばちょっとした違和感を感じたとして、その違和感があとで説得力を持てばじわじわと感動に繋がるし、けれど逆に別段意味のないものだったことが分かれば投げっぱなしかあとがっかりする。
もちろん何もかも計算ずくでやらなくてはならない!なんて堅いことを言うつもりはないし、感覚なんてひとそれぞれだからそれを全部掌握することなんてできない(し、して面白いかどうかという問題もある)のだけれど、しかし舞台芸術において私が見たり感じたりしたいのはまさにその妙であって、この微妙な感触こそが共感とか、なんだかわかんないけど感動した!の種であると思うので、つい気になってしまう。
それからやっぱり今の私にはいいセリフとかおしゃれな感覚のものは皮膚を撫でて通り過ぎるだけで、胸にどっしりと受け止めたいのはもっと別のものみたいだ。
もっと泥臭くて、細やかで、ちゃんと長い時間をかけて問い直された本質みたいなもの。
何をどうしたいのかわかっている、わかろうとしているそのこと自身。
死ぬまでゴールにたどり着くことはないという意味においては、完成形じゃなくて構わないけれど、今この瞬間に出来うる全てを包み、開くこと。
えー!?難しい。そんなこと自分にできるのかな。
でもなんだか、本当に、私が見たいのはその根っこ、水を探っているその見えない作業のありようなんだな、と思う。
それを作品にまるだしにしろということではないんだけど、やっぱり不思議なことに、その意識のあるなしはお客さんには筒抜けだから。
だからすごく怖い。舞台にはそのひとまるごとが出るってこういうことで、比喩でもなんでもなく、そうなんだと頓に感じる。

だんだん感想から離れました。
(なので、後半は今日見たお芝居に対する批判ではありません。自分へのいましめ)

Nさんについてだけれど、私は寡黙な演技のNさん(セリフが少ないという意味合いだけにとどまらず)も結構好きなので、いいなあと思いました。
Nさん自身がたぶん意識していないふとした時に出る人間くささのようなもの、それは演じるにしろ書くにしろ、なのだけれど、そういう部分に興味を抱いている。
もしかしたらそれは今私が見出したい部分であるというだけのことかもしれないけどね。
でも、そこはセンスのようなものと随分深いかかわりがあるような気がしている。
なんだかぱっと殻がわれちゃったときに見える部分。そこを見たいと思う。
その部分を何度か見ているけれど(芝居でもだし、普段話したりしていてもだし)、結構面白いんだよ。って言われても困るだろうけど。
なんだかそんな部分が、じわりと作品になったり演技に映えてくるといいのになあ、って楽しみにしたりしています。

ひとつ、発見というか、私にとっても課題だなあと思うこと。
よどみない孔明のセリフ、ほお、さすが。って思うのだけれど、帰ってみると思い出せないのね。Nさんがあの場に立って、どんなしぐさをしていたかは思い出せる。でもどんな話だったのかが思い出せない。そして、そのことをなんだか残念に感じている。
一方で、沈んでゆくカンパネルラが感じていた孤独への重力、圧迫する死、冷たい宇宙の果てに向かう諦めと心残り、は、迫るように思い出せるのね。こちらはどんなセリフを言っていたかもちろん全ては覚えていないけれど、でもそれでも満足なの。
この感じ方の差は重要だなあ、って思った。
まあ、全然質感の違う演技だから当然といえば当然なんだけど。


と、手紙になってしまった。


楽しかったです。
ほんとうにありがとうね。
ゆっくりやすんでね。

(やっぱり手紙だ)