新しいとし、新しくできるようになること



長年仲良くしてくれているひとは知っているが、私はとても料理が苦手である。
しじみのお味噌汁を作るにあたって「しじみは海のひと?川のひと?」と疑問を持ち(砂を吐かせるためにどちらに入れたらいいかわからなかった)、心配した友達が電話をくれたほどに。
多分嫌いじゃない。でも、凝りすぎる。できないのに凝るからすっごく時間がかかる。
しかも本を見ない。勘で作る。基礎もできないのにアレンジする。できないのに勘やアレンジ…って、もうそうなると料理じゃなくてほとんど実験である。
夜の実験には毎日2時間もかかっていた。これからの人生のなかでご飯を作ることに費やさなければならない時間を計算したところ、あまりにも膨大な数字になったのでもう私は料理ができないひとでもいいや、とほぼ断念していた。

その私が。
今、元フランス料理のシェフに料理を習っています。
まだほんのさわりだけれど。

料理ができないでもいいや、というのはぶどうから目をそむけたキツネくんと同じ心理であって実はそのことがちくちくと自分の自尊心を刺していた。
普通のひとができることができない、ということこそ私の最大のコンプレックスなので、この新しい習い事はわたしをとてもわくわくさせてくれています。

でも、考えたら当然のことなんだけど料理だってちゃんと道筋があって、理由に基づいていろんな手順があるんだよね。
私はマニュアルにのっとってこなしてゆくことしか考えていなかった。
面白みを見つけられなかったのは料理を苦手だと思っていたからなんだと気づいた。
料理もまた、そういうものなんだ。
踊りも絵も音楽も勉強も生きることも一緒だよね、なんていいながら料理だって一緒なんだ、ということを考えたこともなかった。
このことは目からうろこだった。


すごく簡単ですごく大切なことをいくつか教えてもらった。
アボカドを皮からはずす方法、アイスをカップから取り出して練る方法、塩をふる方法、魚の持ち方、包丁の握り方、へらの使い方、器への盛り方。
やったことはあるしやり方も知っているものもあったけれどそこにちゃんと知恵とか理由とか、そのことの前後への想像力が生きている。
そのことをはじめて考えるようになった。

どうしようーー。
自分が美味しいご飯をつくれるようになったら!
そんなこと想像したことなかった。
うれしいな。