* AAPAの本番終わりました

アサヒアートスクエアでの本番が無事終わりました。

小屋入りしてやっと全体に芯を通すことができたという遅い仕上がりだったので心配していたけれど、演じていた側としてはそれぞれの箇所にイメージが湧きあがってきたりはっとこころに残るシーンがあったりして、面白いものになりました。
振付がきちきちっと決まっているものと違って理解を深めていくというより、膨らませたり気づいてみたりということが重要な作業になってくるのでやはり、日常に落とし込めるくらい、前もって自分のなかで完成に近づけてゆくべきなんだろうなあということは反省でした。
創り手も出演者も携わってくださる方々も、同じ「舞台」というものにかかわりながらも土俵はそれぞれで、けれどそのそれぞれの根底に流れているもの同士で通じ合うことが出来る。
今回の作品のテーマを私なりに噛み砕いていくあいだに自分のなかにどんどん印象が強くなってきていた「見えないところを流れる水」ということばというか情景があったのだけれど、私とどこかの景色が繋がるということと、隣にいる、とおい土俵のひとが言葉を交わしどこかに染みてゆくことは同じことなんだなあということを考えた。

もっとも、うまくおしゃべりができないことを恥ずかしがってほとんどのひととは話せなかった。
いつもそのことを後悔するのだけれど、時間がかかるのは自分の性分なので仕方がないかもしれない。

携わってくださった多くの方、それから浅草まで観にいらしてくださった方、ほんとうにありがとうございました。

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まだ12月にキリアンを踊るので完全にほっとすることは出来ないのだけれど、夏のオペラからずっと続いていた舞台がひとまず来週で終わり、やっと日常に戻れる気がする。
今年は本当に夏の記憶がない。
ずっと新国立劇場のあの切取られたプールサイドのにおいのする空を見ていて、まさしくそれが夏だったのだけれど。
ちょっと前まで今は6月かなあ、という感覚だった。

一番好きな秋を感じながらも実感がなくて。

そうだ。
お誕生日をむかえてひとつまた新しい1年です。
ばたばたしていて自分が誕生日だということをすっかり忘れていました。
疲れていたのか眠ってもいないのに電車を乗り越し、もう折り返しの電車がないのでタクシーに乗っていたら届いたおめでとうメールではじめて、自分が誕生日を迎えたことに気づいた。
忙しくていつのまにか過ぎてしまうはずだった誕生日だったけれど、たくさんのメッセージをいただいてその都度うるうる幸せに浸りました。
すーーーーっごくうれしかった。
ありがとうございます!!

なのに!
まったくお返事をしていません。
ほんとうにごめんなさい!
ゆっくりお返事しますね。
ありがとう。