逍遥

篠原さんとのトークショーを終えて、どう写真と付き合っていきたいのかなということをお風呂でぐるぐる考えた。
わたしはどうも今現在だけ!みたいな生きものであるようでその瞬間に自分自身がどうメタモルフォーズするかのことばかりを蓄積してきたのかもしれないなあ。
エラー以外を振り返ることがなくて、分析している間もいま、にこころを奪われて散漫になってしまう。
その代わりエラーはしつこく追う。追うというかいつまでも追われてしまう。あの時間を修正することを夢みているのはその時間自身なのだという気がするくらいに。

なんだろう。
包みたいのに空っぽなのはただ考えが足りないからなのかしら。
どうかそうでありますように。