小さい頃、あんまりたくさん星があってあんまりそれが遠くて自分からかけ離れていることを知って呆然とした。
あのどの星にももしかしたら生きものがいて、生きものがいなくてもわたしはそのどれとも知り合うことはない。
考えたら今いるここでもわたしが出会ったり見たり知ったりできることは空とか世界中から比べたらほんのほんのわずかで、たとえば横にはいている樹のいちまいの葉っぱのことすらほんとうに知ることはできない。
なにひとつ、本当に自分のものにはならずわからないまま、きっと死んでゆくんだろう、と。
でもその呆然には悲しさというよりなにかほっとさせられるものが含まれていたと思う。幸福みたいなこと。怖かったり心細くなったりしたとしたら、それはなにか死に結びついて惹かれるなにか。
うまくその気持ちの正体がわからなくてその時はしくしく泣いたりしたけど、わたしはあの時安心したんだと思う。
なにからも離れてひとりでぽつんとそこにいることの不思議に。
すべてがただ確かにそこにあるという事実に。

いつのまにかそういうことから自分を切り離して自分の見える景色の中だけで生きている感覚を貼りつけて平気な顔をするようになってしまったなと思う。
あんまり膨大なものの中で手も足も出ないみたいに浮かんでいては仕方がないのだけれど、まるでこれじゃあ自分が照らしている部分が世界みたいだ。
あんまり遠くに手をのばしてばかりだと生きていけない。でも生きていけない、みたいなふうに生まれてきたのにな、とも思う。