NY/MoMAにたちよる



MoMAに行った。
あまりに大きくてひとつだけ、女性の写真家を特集したコーナーがあったからそこを見た。

撮るからにはその何倍も見なきゃいけない(とわたしは思う)。
なのに撮ることも見ることもまだまだだという自覚がある。
この自覚がつきやぶられるまではなにもはじまらない。

少し、名前とその作品がつながる写真家が増えてきた。
どこかで見たことがある、とかいうものも。






ジョン・ケージの図形楽譜。

以前とても音の少ない音楽をつかって、楽譜をイメージした作品を踊った。
それぞれがある高さの音を担当して動くというもので、だんだんそれが波紋のように干渉したり打ち消されたりくるみこまれたり・・
とひろがってゆくものなのだけれど。
あの作品をもういちど練り直したいなあ。

音楽には空間的座標があるから、こうして図にするのはわかる気がする。
身体表現も空間へ(時間へも)ポイントすることと切り離すことができない。
そしてだから身体表現と結びつけるときに、もういちど何故音楽か、ということを考え直す必要があるなとそのときに思ったんだった。
根が同じものを一度切り離して(だって今は切り離されているんだし)ふたたび問いなおすことが大事な気がして。