飛行機でかいたこと



空気が冷たかったから陽が当たる場所を選んで椅子をずらす。
ひとりでご飯を食べるとなんだか詰め込んでいるみたいな気がする。
足先が丸まった鳩が移動した先にもついてきて、足元でふっくらと丸まる。
こういう姿はちゅんと同じだ。
いつでも素早く動けるように目だけは用心深くはたらかせておいて、毛穴を緩めひかりを入れる。
日なたとともに移動しているのは私と鳩だけじゃない。
ずっとゲームをしている男の子、ときおり写真を撮っている中東系の男の人、熱そうにスープを食べる女のひと。
高いビルの屋根の谷からほんの僅か射す太陽を、刻むみたいに追ってる。


ニューヨークは新宿に似ているなあと思った。
歌舞伎町とオフィス街だけを肥大化させたみたいな。
私にとって新宿は歌舞伎町とオフィス街以外の隙間、生活であったけれど、ニューヨークにそれを見出すことはこの短期間では出来ず、つねに歌舞伎町とオフィス街だった。
止まらない人の波、夜中になるとそれぞれの店頭に山と積まれるごみの袋、鳴り止まないサイレンやクラクション、黄色いタクシーとバスが少しでも前に出ようとせめぎあう。
毎日たくさんのものが生み出されて、消費されている。
はっとさせられることには事欠かない。
ひとも街もエンジンを絶やさない。
川口さんに、この街にずっと住んでいて疲れることはないですか?と聞いたら何が疲れるの?毎日面白くて仕方ない。というような返事が返ってきた。
それを聞いて、ここに住むにはなにかひとつ突出していないとやっていけないのだろうなあという気がした。
パワーがなくては。

もし9年前にここに来ていたらどういう感想を抱いたかな、と思う。
もしかしたら毎日レッスンするだけで満足して帰ったかもしれないな。
意欲を焚きつけられ、想像力の後押しをされたかもしれない。