インプロヴィゼーションセッションのこと

今夜はインプロヴィゼーションセッションをしてきました。
尺八の川口さん、電子音楽のキースさん、三線のともこさん、胡弓の向井さん、パーカッションのジャスティンさん、そして身体の私。

CAVEというちいさなスタジオに着くと鯖の模様の猫が出迎えてくれた。
人懐っこくて私がしゃがむとどこまでも近づいてくる。
私がねっころがっているとスタジオの端からずんずんズームアップして、ひた、と鼻先を頬に付けられた。
首輪を見たら電話番号と「フラニー」という名前がついていた。
着替えようと更衣室に行ったら足元の小さな入口からもういっぴきするりと猫が入ってきて、こちらは「ゾーイー」でした。
サリンジャー。
きっと兄妹なんだ。


組み合わせを変えて何度か踊ったので、その都度その楽器やそのひとが出す音にからだが反応するのはとても面白かった。
自分だけで踊るとどうしても自分のできることや癖のような部分が浮き出てしまうのに、その質やリズムに裏切られるだけでからだが思わぬかたちをとる。
多くの音の中のひとつの身体というのはそれだけで少し特別なものだけれど、だからこそつまらないことをしてしまったらすべてをなし崩し的に面白くなくしてしまうような気がする。
そして当たり前だけれど音とこのからだとはまるで質が違うから、自分の存在がある意味ではすごく邪魔なくらい大きくて、ある意味ではすごく「まるでなんでもない」もののように思えて、音の調和のなかに飛び込むときに何度かためらった。
飛び込むのに必要なのは勇気でもどうにでもなれ、という気持ちでもなんでもなくて、やっぱりそこにどう存在することができるのか、どう融けたり、または切り裂いて違う展開をつくることができるのかを冷静に客観視・・というか客観的に感じること。
そういう目算がつくまで自分にエンジンをかけ、待つ。

踊りながらやっぱり私はいちばん低い音に反応してしまうんだなあとか、からだから出せる音は他になにがあるんだろうとか、見ないでもすごく繋がるものと見ていても全然疎通しないものとあるなあとか、なにしろいろんなことをいっぺんに考えていた。
あまり他の分野のひととインプロヴィゼーションをする機会が多くないのでこういったセッションはいつも新しい体験とか発見があって、今日もすごく楽しかった。
ハーイっていう挨拶だけしか交わせなかったひとでも一緒にプレイするだけで日常とは違う部分で触れ合うことができる。
ほんの少し仲良くなれる。
こういうのもいいものだなあ、と思う。
ある回では私も踊るばかりじゃなくて音を出そうと思って、いろんな音の出るものを借りたりペットボトルをばしゃばしゃやったりや脱いだ洋服を振り回して空気の音を出したりしてみてそれも楽しかった。
カメラを使った回もあったし。
ダンサーだからって身体だけで表現しなくてもいい。
ダンサーじゃなくったってからだでなにかできるのと同じように。


帰りに日本のスナック、と称したお店でごはんを食べた。
店がまえは外国から見た日本(つまりぜんぜん日本じゃない、中国とか韓国とかアジアが混ざったかんじ)という感じで大きな龍とかふしぎなからだのラインの踊り子の木彫りとかがあって全体的に金と赤のお店だったのだけれど、お料理はすごく普通の日本の味で美味しかった。
ニューヨークのレストランはすべて禁煙なので外でキースとタバコを吸いながらいろんな話をした。
キースは18歳になる猫を飼っていて、ベベットという名前なんだって。
ベベットってベイビーという意味で、そういう名前の猫はいっぱいいるよと教えてくれた。
生まれたときからニューヨークにいる。
日本は地震がときどきあるの?
いつもはこのへんは賑やかなのに今日は静かだ。
そんな話。

今日はジューイッシュのお祭りがあったみたいで、駅についた時に「あなたはユダヤ人ですか?」と声をかけている、あの格好のひとがたくさんいた。
街が静かだったのはなにかそれとかかわりがあるのかしら。


帰りに住んでいるところの近くのちいさなお店でアップルパイとかヨーグルトとか果物を買って帰ってきました。
2時をまわっているのにおなかがすいてアップルパイはもう食べちゃった。
今日はがんばったから、いいかー。