* 空からはじまった新しい年



あけましておめでとうございます。
今年の幕開けは満月と、月食と、月の入りと日の出でした。

月が、白く雪をかぶった青い山に沈んでゆくさまは特別だった。
太陽はこちらの目を細めさせるけれど月は、白いブラックホールのようにひっぱってゆく。
巨大な骨のようでした。

今年はひっくるめて抱えて歩く年かな。
と今思いついた。
去年は一生懸命足元を掘って、栄養をあげて、とにかくさぐろうとした。
今年は点在したものをシナプスみたいに繋いでゆく。
正反対のものこそ同時に手にとってみる。
こまやかな部分を見逃さない。
よく読んで、よく聞く。
目移りする悪い癖をただす。
耕しつつ、収穫しつつ、川で洗濯もして天文観測もしタイムマシンも操縦するみたいなかんじ。

行きたい場所がいくつかあります。
おばあちゃんの田舎の平泉、琵琶湖の神社、アイスランドにアラスカ、ゴットランド、ドイツの友人のおうち、シンガポールの友人のおうち。
今年いくつの風景をみることができるんだろう。

カメラを持つようになって少しずつ変わってきた世界との距離。
なんとなく、今年はひとによってそれが変わるんじゃないか、変えることができるとしたらそこをひらくしかないんじゃないかという気がしている。
大きな変動ではなくて微振動が塗り替える一年。

みなさんにとっても素敵な一年でありますように。

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松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へと、師(松尾芭蕉)のことばのありしも私意をはなれよといふことなり。この習へといふ所をおのがままにとりてついに習はざるなり。習へと言ふは、物に入りてその微の顕で情感るや、句となる所なり。たとえ物あらはに言い出ても、そのものより自然に出る情にあらざれば、物と我二つになりてその情誠にいたらず、私意のなる作意なり
~『三冊子』