* おさななじみ、縦の時間



シンガポールにいる友人と久しぶりに長いこと話をした。
引越しの多かった私にとって、彼女がいちばん付き合いが長い。
べったり一緒だったわけじゃなくて、でも逢う時にはぎゅっとつまった時間を過ごすから、これまでの人生のなかに点々と鮮やかな思い出の共有部分がある。
その時どきでお互いが何を頑張っているのか、どんな恋愛をしているのか、どんなことを悩んでいるのか…そんな変遷を並べてみるとずいぶんわたしたちは時間を重ねてきたんだね、と思う。
すっかり大人みたいなことを話しているのが、ちょっと不思議にくすぐったくなる。

大久保を歩いた時に自分が住んでいた家から彼女の家に行く道を歩いた。
そのあいだに住んでいた何人かの同級生はもういない。
新宿はすっかり変わってしまった。

彼女のうちにはよく遊びに行った。
もしかしたら私がいちばん、自分の家以外でお邪魔した場所かもしれない。
おばさんがいない時に一緒にご飯を作って食べたり、遠くに働きに行く前に長いこと話したり、そうだ、おばさんが漬けた梅酒が美味しかった。

おばさんと話をしようかな、とチャイムを鳴らしそうになったけれど、きっと働き者のおばさんのことだからおうちにいないだろうと思い写真だけを撮らせてもらった。


もう一度大久保で撮った写真を見直してみた。
どの場所にもたくさんのわたしがいる。
学校の行き帰り、友達のうちに行くとき、部活への早朝、買い物で友達とすれ違う、そのたくさんのわたしをもう一度わたしが包むように撮る。
撮っている私もそこに加わりながら。