* おいてきたものやおいてゆかれたことを考える日



気持ちがぐちゃぐちゃしている。
いろんなことを脇においてこころのうわべだけでものごとを進めている。
どんなに長い道を掃除するときも今の一歩のことだけを考えるんだ、と掃除夫のベッポおじいさんが言っていたっけ。
そうだ、今夜はひとつだけなにかを片付けよう。
それだけでそこから風が流れ込むはず。

生活するには役に立たないことばかりをこの身にためてきた。
昔から目に見えるものに対する執着がなくて、ものを欲しがることもない。
それは自分の未来の姿に対しても。
それはあつくるしくなくて楽なやりかただったかもしれないけれど、そんな自分がいつも寂しい気がした。
どうしても欲しいとか、どうしてもこうなりたいとか、そういう貪欲さや情熱をもやして着実にそのことを身につけてゆくひとに、みとれてしまう。
不器用だったり、周囲を傷つけたり、もちろん本人も傷ついたり、でもそうやってひっかかりながらも進みたいという熱が。

タフだと思ってきたけれど、なんて甘ったれなんだとくやしくなる。
もちろん自分の選んできたことだからそれはそれで大切だし理由はあった。
それはちゃんと認めつつ、隣の芝生を見てときどきためいき。
あこがれのためいきと、わたしってやれやれ、のためいき。

+

理屈で考えなければならないことと、感覚でとらえなきゃいけないこと、
ときどき取り違える。
これは感覚でいいんだろう。
けれどちょっと迷っている。
何を撮りたいのか、なにがいい写真なのか、今ちょっとわからない。
初めての、小石。
壁というほどのものではない。
つまづいたことを振り返って、ちょっと考えている。

ああそうだ、夢の中の景色のようだった、あの一本の樹。
あれを撮りたかったな。
むらさきに煙った空に濡れた土、霧みたいな雨、空を包もうとする手のような枝。
何故かずっと気持ちがそこに向いている。
またそこで話をしたい気がずっとして落ち着かない。


あわせ鏡ブログにも記事を書きました。