* いりくんだひきだしの



繰り返し読む星野道夫の世界はちっとも退屈しない。
同じエピソードが何度も語られるけれど、ちっとも色褪せることがない。
それぞれが球に近い宝石のように、小さな角度をかたちづくり実になってゆく。

自分の踊りや話すことがどんなことを含んでいるのか、やっぱり的確に拾い出し、指し示すことができない。
たくさんの要素同士が複雑に交じり合って時には背きあって打ち消しあいながら今現在も次々に生成されているからだ。
とても、ことばというものに、概念というものに固定できない。
だから外からいただくことばはとてもありがたい。
それは端的に、私が放つ面のどれかを捉えてくれているから。
そのことばで、また自分を発見することが出来る。再び体験することも。

写真を撮るようになってからなのか、淡路島で即興で踊ることに深く入り込んだからなのか、淡路島からちゅんや友人を強く想ったからなのか、確実に世界との接続の方法が広がりつつある気がする。
より深まり、彩りを増し、細かな回路ができた。もしかしたら裏道のようなものも。
決定打がやってくる予感もある。
こころをひかれつつ後回しにしていることこそ、たぶん私を切り開いてくれることなのだろう。
きっとね。