* まもる覚悟



たとえばとても幸せな思い出があったとして、のちのち、実はその幸せを裏切るような真実が隠されていたことを知るする。
その幸せの記憶は変化してしまうのだろうか。
実際そのときに感じていた幸せは曇りのないものだったとしても?

今読んでいる本にそういう記述が出てきて思いを錯綜させてしまった。

こころはそんなに単純じゃない。
その時間に隠された色が浮かび上がってきたからといって全てがその色に塗りつぶされてしまうわけではない。
けれどその事実はわたしとその思い出の間を繋ぐ時間のトンネルを隙間なく覆って、どんなシーンもそこを通らないわけにはいかない。
なにかの拍子に飛び越えてそのまま届くことがあっても、帰り道、無傷でその記憶を置いてくることもできない。
たしかに、それはそう。

でもおおきな前提としてそのときは確かに幸せだった、ということころにわたしの一部はいつまでも留まっている。
さいわいなことにほんとうによいことをもらうと、それは強い光でいつまでも輝く。
写真が留める記憶と似ている、と思う。
そうそう変化しない。
うらからじわじわ染み出してきた影にもそれは負けないで立ち続け、澄んだ目でずっと空を見上げ続けている。
もしかしたら事実を知ってしまったわたしは二度とその顔と目を合わせることはできないのかもしれない。
だから余計にかなしいともいえる。
それでも、ただまばゆく立つ姿を眺めていたい。
しあわせをもらったから強くなれた。
だからそれを護ると覚悟する。
なにがあっても打ち壊したりしないから、ときどき見つめさせて、と願う。