* つくりものはもうあきた



町でみかけたことばにふと立ち止まった。

結局は、孤独にくりかえし立ち返っているんじゃないかな、と思う。
なにかをつくろうがつくるまいが、意識的であろうとなかろうと。
孤独ということばやひとりで立つという行為に、淋しさや陰りは必ずしも含まれない。
それがとても自然なすがただろうと思うから。

つくられたそのものや、留められた表面のことはもういいんだ。
今見たいのはその過程や底から沸いてきたものであって、そこがからっぽだったらなんだかがっかりしてしまう。
どう立ちたいのか、どうしてここに至ったのか。
ことばで説明なんかしなくていい、できないくらいのおおもとがそこにはあったはずで、そのことを誤魔化したりもったいなく手を加えたりしないで生き続けさせてほしい。

私が知りたいのはストーリーではなくて、その発見や、慟哭そのものなんだから。